屋久島移住記

2011年12月 8日 (木)

屋久島移住記(2011年5月度) ~1ヶ月目~

いよいよ屋久島移住開始!
島の生活と初めての一人暮らしに期待と不安に胸を膨らませる。
新生活に慣れ始めたら、ゴールデンウィークでなじみの旅行者と交流して、車のナンバー交換(車庫証明申請したあと気付いたが、そこまでしなくても良かった・・・)と引越し残り荷物処理諸々で一旦里帰りしたりする。

●4月17日(日)晴
福岡の実家の部屋の整理を途中で切り上げて14時出発。
部屋自体は確保してもらえるので不要な荷物を置いていけるが、引越しの残りは来月、マイカーのナンバー更新手続きの後で行う予定。(車のナンバー交換を行う場合、4万近くの運賃かけて鹿児島市内の陸運局に持ち込まないといけないので。)
引越し挨拶の千鳥饅頭を10箱買い付け、福岡太宰府のICから高速に入る。
新生活の憧れと、住み慣れた便利な街を離れる寂しさ、半分ずつ入れ混じって妙な気分。
17時に鹿児島市内に到着してホテルのチェックインを済ませた後、ベ○ト電器で冷蔵庫と空気乾燥機を注文する。島内にも支店があるので運送費はタダだそうだ。ありがたや。九州地場企業としても応援していますぞ。洗濯機も今のうちに購入したいところだが、設置場所の寸法が不明なのでこれは引っ越してからにする。
島には映画館がないので暫くの見納めにミッテ10で映画鑑賞。
予告のビジュアルに惹かれて『エンジェルウォーズ(サッカーパンチ)』を選択したが、『未来世紀ブラジル』のオマージュ入ってるとの事で、ブルーな気分があるときに観る物じゃなかったとちょっと後悔。

●4月18日(月)晴
鹿児島南埠頭8時半発のフェリーに乗って何事もなく屋久島に到着。
ふ○さと市場で昼食をとってから、安房のアパートに到着。
予告どおり14時に着いたのだが、不動産屋YFのI部さんに電話すると「ついさっきまでそこにいたのですが、鍵は玄関においていますので勝手に入ってください」との事。いいんかいな、そんなんで。これが屋久島クオリティ?
早速、車に積んでいた大量の荷物を2階の部屋に上げて、寝室の床にカーペットを敷く。
実家を出る前に「お前は夜中にゴトゴト音を立てるので気をつけて迷惑かけるんじゃないぞ」と耳タコ状態で言われてきたので、カーペットの下にも吸音シートも敷いて万全、だと思う。
とりあえず必要な荷物を選り分けていると屋久島ガスさんが元栓チェックしにやってきた。
ブレーカと温水器もいじっていたので、電気ガス水道の三拍子バッチリだとわかって安心。
新品カーペットの上で試し寝をしていると、真下の階の住人が帰ってきた。
ドカドカ足音が大きいな~、と思っていると、「オギャー」と赤ん坊の泣き声も聞こえてきた。
ええっ!?ココって独身ばかりじゃなかったの?初めての一人暮らしにはきつい洗礼じゃん。
まあ、まずは親しくなること大事と、引越しの挨拶に行く。
中からは、いかにも今赤ん坊あやしていましたという雰囲気の若奥さんが出てきた。
他の住人の帰宅状況を尋ねると、お隣さんは大抵夜に帰ってくるが、斜め下の人は滅多にいないとか。何する人ぞ。
照明も布団もまだ無いのであまりゆったりもできず、持ってきた荷物をチェックして最低限調達が必要なものを洗い出して20km程離れた集落の家電店やドラッグストアに買出しに行く。
蛍光灯やふとんにも色々種類があり、悩んでいるうちにすっかり夜になってしまった。
近くのレストランで晩御飯を済ませ、蛍光灯取り付けなどした後、風呂に入って22時に寝る。

20110419 ●4月19日(火)晴
朝4時、下の階の赤ん坊の夜泣きで眠りが妨げれられる。ちょっと不快に思いながらも、赤ん坊なら仕方ないな、と思いながら寝なおす。
朝5時、今度は下の階の住人が鳴らす携帯電話の目覚ましバイブで目が覚める。ええーっ何だこれ。
夜が明けて落ち着いた頃、福岡から送ったク○ネコ単身引っ越し便が到着。これが2万円ちょいとは安いものだ。
「踊り場が狭いですね~」言いながら本棚やら荷物を運んでいた担当者、床の上にダンボール箱をどかどか積み上げると部屋の奥の方にズズーと押した。うわーい!借り物の床に傷がついたらどうすんの?福岡の担当者は腫物を扱うような対応だったのに、これも屋久島クオリティ?
「お子さんですか」と突然聞かれて振り向くと玄関に全く見知らぬ幼稚園位の子供が2人、担当者を挟むように立っている。アンタ達、誰?
(隣のアパートの先生方の息子さんだと後に分かった。先生方は殆ど家に篭っているが、この2人はあちこち散策しまわって、宅配業者についてお宅訪問してくる事もしばしば。)
搬入が終わったところで、まずは机とイスを組み立ててみる。机は今回の生活にために新たに購入したPC台。上にプリンターを乗せられるヤツだ。安かったのでちょっと強度が足りなさそうだが新品はいいね。
正午すぎ、お隣さんが帰ってきたので引っ越しの挨拶に行く。浄水関係の仕事をされている、30歳位の人の良さそうなお兄さんだった。
ひと段落したところで駐車場に行って愛車を見てみると、直径5mm位の小花や杉の枝葉がびっしり降りかかっており、ワイパーの根本などに詰まっているのもある。えーっ何これ!駐車場代タダが当たり前の屋久島で、千円お金とってこれはないんじゃない?
ショックを受けながらピンセットで取り払い、頸椎症の治療のために島で唯一整形外科のある○洲会病院に行く。
福岡でやっていた首牽引は基本的にないのだが、頼み込んで特別にやってくれる事になった。ただし、リハビリ科への予約だそうで、治療は明日からだ。
病院の用事もとりあえず済んだので、コンロを探してB電器系列の○クデンに行ってみると展示処分品を発見!やりい。
空港そばの○ムズに行ってみると本土のより安い洗濯機が売っていた。熊毛郡のホームセンター、やるじゃん。
下調べした時は、本土の方が安い気がしたが、島の方もほとんど変わらないばかりか逆に安い事もあるようだ。石油燃料は高いので不思議な気分だが、ありがたや。
家に帰り早速コンロを取り付けてみたところ、付属の着火用電池を店員が入れ忘れていた(苦笑)。明日取りに行く事にして登山用コンロで軽く夕飯を作り、風呂に入って22時に寝る。
それにしてもこの屋久島、6時「エリーゼの為に」、10・12・15時チャイム、17時「新世界より」、21時「ふるさと」と防災無線で時報が流れる。朝6時は余計な気がするが、便利だし面白いのう。

●4月20日(水)晴
下の階の物音は昨日同様で寝覚め悪し。
○洲会病院のリハビリ外来は午前中のみで、朝食をとって落ち着いたところで宮之浦集落に出発する。
病院に向かっている途中に携帯電話に着信があり、何事かと思えば昨日購入した洗濯機の納品連絡。これからなるべく早く持っていきたいと言うが、いま病院に向かっている最中なので昼2時頃に延ばしてもらい、正午頃に治療が終わると自宅にとんぼ帰り。
業者による設置作業も無事済んだところで、早速使ってみる。初めて自分で購入したオニューの洗濯機。なんか嬉しい。
洗濯物を干したところで、引越し前の住所による市議選挙不在者投票を行うため、市役所から送られた封印付の書類など持って屋久島町役場本庁へ向かう。
カーナビに従ってよると10km程離れた小瀬田集落の県道から海手へ曲がるが、民家も無いような深い森の奥にそれはあった。もしかしてごみ処理場に向かっていたんじゃないかと疑いながら、何度も役場である事を確認して中に入る。
出てきた役場の方に他県の不在者投票に来た旨を伝えると、何だか困惑されて他の方に訪ねている。「おおい、本庁がこれで大丈夫か?」と思いながら暫く待ったところ、宮之浦支所に選挙管理委員会があるのでそこへ行ってくれと言われた。なんだ、それ。
更に10km程離れた宮之浦支所に着くと、廊下の一角に委員会の扉があったので入ってみると誰もいない。おお、屋久島クオリティ。
ちょっと茫然としていると、外の窓の向こうから係員が現れ「ちょっと待ってね」と言って泥のついた野良着姿で入ってこられた。おお、屋久島クオリティ。流石にこちらではテキパキと作業も進めてくれて、無事に投票も完了した。
宮之浦まで来た事だしと、色々お世話になっている民宿晴耕○○に引っ越しの挨拶をしに行ってみるが、ダイニングキッチンで暫く待っても誰も来ない。オーナーの自宅を訪ねてみようとするが、確信がとれず改めて出直す事にする。
コンロの電池受け取りや諸々買い物をして帰宅する。

●4月21日(木)晴
来島前日に購入していた冷蔵庫と空気乾燥機が納品される。右側に開く冷蔵庫で、最適な設置場所は台所の左端になる事に初めて気付きちょっと後悔するが、一番安かったし我慢しよう。
落ち着いたところで、また宮之浦集落に出発。
民宿晴耕○○に着くと、ちょうど女将のA子さんも来たところ。観光案内所のS子さんも遊びにやってきて、宿のダイニングキッチンで島の暮らしや今後の予定など談話する。
30分以上話をした事だし、買い物して帰ろうと思ったが、以前から色々お世話になっているガイドの0原さんにも挨拶に行かんといかん、と思いたち、今度は○NACへ。
よくちょうどガイドの仕事から戻ってくるところで、他の従業員も交えて1時間以上談話する。
『2011年 屋久島ガイドブック』に奇跡的な航空写真を載せている、島在住の写真家O沢さんが写真集発売記念パーティーを行うとの事で、出席者に混ぜてもらう手配もしてくれた。有難き幸せ。(幹事のM歩さん、取り纏めのO沢さんにも大感謝)

●4月22日(金)曇
○洲会病院の午前中通院を済ませたところで、自宅から島半周程離れたところにある白川集落へ。4年前に惜しまれながら廃業した元祖○ぼちゃ家ご主人のA彦さんに挨拶に行く。現役の頃はカウンターから一方的に眺めるだけだったが、娘さんご夫婦が昨年末に福岡で開いた2代目○ぼちゃ家にて、ふとした事から仲良くなったお方だ。
暫く話したところで、同じ集落に住んでいる「キャップ」さんを紹介してくれると言われ、おにぎり、汁粉や御茶を持った奥さんも交えて家の外へ出た。
A彦さんの家に入る時、故・山尾三省さん(屋久島を代表する詩人)の家の屋根の上で
何やら補修作業をしている方がいるなー、と思っていたのがそのキャップさんだった。
白川は島で唯一海に面していない山奥の集落で、サルが屋根に上って瓦を割る事があるので、時々修理作業が必要だとか。また、キャップさんは左官が大得意だそうで、石を積んで作った見事な自宅が集落にあるそうだ。A彦さんはそれも紹介したくてうずうずしているようだったが、補修作業が途中なのでいずれそのうちとなった。
長話の後、A彦さんご夫婦とキャップさんにお別れし、今度は集落一番奥にある芙○寺へ向かう。
ここは昨年夏、「住職が一人で建てた見事な木造のお寺があるから是非見るべき」と、これまたA彦さんのガイドで旅行に来たとき紹介してもらったところである。その時、手作り感あふれる庫裏にお邪魔するとテーブルの上に高そうなPCがデンッと置いてあったので、「これは凄いパソコンですね」と話しかけたところ、「もらい物なんですけど立ち上がらなくなって困っているんですよ」と住職D林さん。かくして修理に三晩通い続ける羽目になった(笑)強烈な思い出の場所である。
(再インストールを行うと8割方データコピーが進んだところでエラーになる現象に悩まされたが、4枚のメモリのうち、1枚にブートチェックに引っかからない故障個所があったのが原因だった。)
今回、引っ越しの挨拶をして、住職D林さんにPCのその後を早速訪ねてみると、今度はマザーボード故障で大工作業場に置き去りにされていた。こればかりはどうしようもない(涙)。

●4月23日(土)晴
洗濯をしてあとはだらだら過ごす。
賃貸探しでお世話になったM代さんに挨拶しに行こうと松峯集落に行ってみるが、草むらばかりで家がどこにあったか思い出せない。電話しても留守だったので、後日出直す事にする。

●4月24日(日)晴
福岡から持ってきた本棚のセッティングを始める。本の配列でちょっと行き詰ったところで喫茶店A-○arに向かう。
ここは島の季刊誌『屋久島○トメクリ.』の編集者M歩さんが営んでいる店で、元祖○ぼちゃ家のA彦さんが「是非行ってみて」と推していたところ。2代目かぼちゃ家のマスターによると未だ顔を会わせた事がないのにM歩さんは「つぼやんが引っ越して来る」と話題にしていたらしい。
いざご対面となると想像とのギャップに少し驚く。以前、ムック本で見たときはおっとりしている印象だったが、実際会ってみると気の強そうな感じで、若いのに芯がしっかりしている方のようだ。
長話した後は、昨日のM代さん挨拶のリトライに行く。電話は通じたが、用事があるとの事でまた持越しとなった。
さて、屋久島に引っ越してきて一週間。下の階の住人が喧しいのが気になるようになった。
赤ん坊が泣くのはまだあきらめがつく。
しかし、奥さんはフローリングの上を深夜だろうと「ドスドスドス」と音を立てて歩き、「ガーッ、パーン」と勢いよく戸を閉める。
その上、(人のことは言えないが)なぜか昼間から家にいる旦那さんは、留守番して赤ん坊が泣きだすと「オイッ!オイッ!オイッ!」「うるさーい!」と叫び(←あんたがうるさいよ!)、外出先から帰ってくるといの一番にテレビのスイッチを入れ、深夜2時すぎまで目が覚めている間ずっとゲームらしき音楽を流し続ける。
更に、アパート床下の遮音性の安普請さが、外壁の防音が良い分(雷の音も大して気にならない)強調されて悪い相乗効果が出ているようだ。
う~ん、どうしよう・・・

20110425 ●4月25日(月)晴
屋久島に居ながら地元の市議選挙を行う都合で昨日の開票日までは福岡県民だったが、
本日は晴れて屋久島町民になると同時に、失業給付確認で種子島のハローワーク熊毛へ出頭しないといけない日。朝は大忙しだ。
高速船港に近い町役場宮之浦支社に8:30始業と同時に入り、住民票の転入手続きと健保・年金の変更を行う。手詰まりは許されないので冷や冷やしたが、9:20に役所手続きは無事終了。
10:00発のトッピーに乗って屋久島を出る。11時前に種子島の西之表港に着くが、バスの時刻表を見ると30分以上やってこない。なんだそれ。
待っている時間が勿体無いし、種子島は初めてなので、視察も兼ねてハロワまで歩く事にする。潮の匂いと日差しが強烈だ。
公園のような港から離れると、建物が密集しているところに入ったが、不思議と福岡市西区の雰囲気に似ている気がした。
屋久島では、自宅の窓に合うカーテンと少人数のダイニングテーブルが調達でき無くて困っていたのでそういう店を見つけ次第入ってみるが、品数は多いものの品揃えはほとんど変わらないようで期待はずれ。
汗だくになりながらハロワに到着したのは1時間後。こんなことならバスを待てば良かったと後悔する。
ハロワ手続き作業は問題なく終わり、次回からの失業給付確認は屋久島町役場尾之間支所で良いとの事。熊毛郡のハロワは種子島にしか無いので、高い交通費と欠航に怯えながら毎月通わないといかんのか、と思っていたがそうならなくて良かった。
近場の食堂で昼食を済ませ、今度はバスで西之表港に戻る。帰りの高速船には十分時間があったので港町を散策する。やっぱり品揃えは屋久島と大差ない感じだが、大がかりな百円ショップを見つけウハウハ買い物した。
今回見たところは種子島の北端だけだったが、帰りの高速艇に揺られながら、海好きにはたまらないかもしれないが個人的に屋久島程の魅力は感じられないな、と思った。
日が暮れた頃に屋久島に到着する。

●4月26日(火)晴
引っ越しの荷物整理。ダンボールとかをまとめて押入れにどんどん仕舞う。
昼過ぎ、M代さんへの挨拶に3度目の挑戦。今度はようやくアポイント取れた。
場所がうろ覚えなので、携帯電話で誘導してもらいながら茶畑を進むと奥の家にようやくたどり着いた。地区の役員をやっているとの事で菓子折りを簡単に渡して終了。
夕方になると、先週の約束通り○NACのO原さんを迎えに行き、O沢さん写真集発売記念パーティー会場である宮之浦港にある環境文化村センターの喫茶店へ向かう。
会場には屋久島関連のメディアでよく見かけるそうそうたるメンバーがそろっており感激ひとしお。こんな方々の仲間に入れてもらえるとは嬉しすぎる。
パーティー終了後はO原さんのご自宅にお呼ばれし、コーヒーを頂きながらマンツーマンで読図講習会を受ける。夢のような一夜だった。

●4月27日(水)雨
来島してから初めての雨。○洲会病院に通院後、昨日のO沢さんの写真展が開かれているとの事で環境文化村センターへ行く。
会場にはO沢さんご本人が当直されており1時間程談話する。聞けば、以前からネットでつぼやんを知っていたそう。こんなホームページ、意識して頂き有難く思う。
O沢さんと別れたあとは、文化村センターの事務所で屋久島ファンクラブの住所変更手続きを行う。
名作『屋久島 森と水のシンフォニー』を鑑賞した後。受付にまた挨拶していると、
ファンクラブ福岡支部でも馴染みあるT田さんとA殿さんが挨拶に来られた。
帰りに島で唯一大型家具を扱っていた『○い○いランド』へ寄るが、調査依頼していたすのこベッドと少人数ダイニングテーブルは取り寄せ難しいそうで、ネットショッピングを利用する事に決めた。

●4月28日(木)晴
床屋で散髪した後、免許更新手続きに屋久島警察署へ行く。新しい免許証の受け取りと講習は来月27日までお預けだそうだ。
車庫証明申し込み書類も入手し、アパートの駐車場寸法を測り、不動産屋YFに一旦向かって必要箇所にも記入してもらい、再び警察署へ出向いて提出する。こちらの完成受け取りは来月9日だそうだ。
その後、春牧区役所、安房電気、役場水道課に出向き、転入の手続きを行う。
区役所には温和そうな男性の区長I川さんと女性の会計I河さんがいて、I河さんから「静かでいいでしょう」と言われたが、下の階の住人の騒音で困っている旨を愚痴ると、気の毒そうな顔をされた。また、謎の斜め下の住人がいつも不在なのは別荘目的で借りているからだとか、2棟のアパートの大半を占めているのは某通信制学校の先生だとか、謎の住人達の情報が小出しに分かった。
私の今まで見てきた感じと統合すると、どうやら某通信制学校の先生方は排他的気味な閉じた社会を形成しており、しかもそのブロック効果で奥にある我がアパートまで地元住民の関心は向いてこないようだ。
同じアパートの小中学校先生方とさわやかなお付き合いとか、ご近所さんとの田舎特有の濃いお付合いとか期待してやってきたが、夢は出鼻で打ち砕かれたようだ。あー残念。

●4月29日(祝・金)晴
ゴルーデンウィークに入った事だし、馴染みの宿に誰か遊びに来ていないかなぁと期待して民宿晴耕○○へ様子見に行くと、同郷のYカさんや、以前に会った事があるW貫さんが旅行に来ていた。ビンゴ!同宿のお客さんも交えて深夜1時過ぎまで談笑する。

●4月30日(土)曇時々雨
ネット注文の2人掛けダイニングテーブルセットが到着し、早速組み立てる。いい感じだ。
夜になると、また晴耕○○へ出向き、Yカさんと食事に一旦出かけたあと、同宿のお客さんも交えて深夜1時すぎまで談笑する。

●5月1日(日)
夜になると、またまた晴耕○○に出向き、深夜まで談笑。

20110502 ●5月2日(月)晴
朝のゴミ出し後、引っ越し案内ハガキの材料にと、裏の畑道でアパートと写真撮影を行う。
そんなしているとキジトラと白地茶の2匹の飼い猫が現れ、ネコ語で挨拶すると寄ってきた。
おお、いいじゃん。白茶の方は特に甘えん坊らしく、キジトラを撫でてると背中に足かけたりしてきた。しばし至福の時間。
ひと段落したところで、○洲病院の通院に出向く。
そういえば、引っ越してからまだ島を一周していないな、と気付き島を1/4周したついでに本日実行を決意する。
反時計回りにドライブし、3/4周の尾之間集落で遅めの昼食を摂ろうと名物パン屋さん○イタに入ると、奥のテーブルで元祖○ぼちゃ家A彦さんご夫婦にばったり会う。息子さんがUターンするとかでプチ家族会議をされているそうだ。ついでA彦さん効果で○イタの奥さん娘さんの顔見知りリストに入れさせて頂いたようだ。ラッキ。
夜になると、またまたまた晴耕○○に出向き、深夜まで談笑。

●5月3日(祝・火)晴
今日は黄砂が酷く、晴れているのにすぐそこの山がかすんでいる。
アパートのベランダから見える畑にはキジが時々姿を現すが、いつも定位置にいる。不思議に思っていたら、農作業用につけてあるカーブミラーの前に立っている事に初めて気付いた。自分の姿とは分からずプロポーズでもしているのだろうか。
夜になると、またまたまたまた晴耕○○に出向き、深夜まで談笑。
W貫さんによると、山の上は黄砂も上がってこれず視界良好だったとか。

20110504_2 ●5月4日(祝・水)
ネット注文していたすのこベッドが届いたので、買い置きの三段ボックスと併せて組み立てる。夜になると、またまたまたまたまた晴耕○○に出向き、深夜まで談笑。

●5月5日(祝・木)雨時々曇
Yカさんが屋久島旅行から帰る日なので、夕方にW貫さんと宮之浦港へ見送りに行く。
そういえば、こうして港で人を見送るのって初めてだな。
見送った後は、近くの文化村センターに行き、W貫さんが名作『屋久島 森と水のシンフォニー』を鑑賞している間、写真展の当直中のO沢さんに挨拶しに行く。
夜になると、またまたまたまたまたまた晴耕○○に出向き、深夜まで談笑。

●5月6日(金)大雨
○洲会病院の通院と買い物で日中消化。
夜になると、またまたまたまたまたまたまた晴耕○○に出向き、深夜まで談笑。

●5月7日(土)曇時々晴
押入れと床に積んだままだった荷物の整理を行う。
夜になると、またまたまたまたまたまたまたまた晴耕○○に出向き、深夜まで談笑。
アンタモスキネ。

●5月8日(日)曇時々晴
W貫さんも正午すぎに屋久島旅行から帰る。さようなら、楽しかったゴールデンウィーク。
愛車のメンテナンスで日中消化。

●5月9日(月)曇時々晴
屋久島での失業給付初確認日。尾之間集落の役場支所で手続きを行った後、宮之浦集落の○洲会に通院。
愛車の鹿児島ナンバー変更と引っ越し荷物の残り作業の名目で明日から里帰りするので、土産物の買い物と、警察署に出来上がった車庫証明受け取りを済ませ、15時に自宅に戻る。
駐車場に降りかかる枝葉や樹液などで愛車の塗装が痛みそうなので、ここのところ車庫作るかタフなコーティングするかとずっと悩んでおり、結局はガラス被膜のコーティングをしてもらう考えに纏まってきたが、コーティング業者やナンバー変更のETC設定を業者をネットで調べていたら20時を過ぎてしまった。
その後も、冷蔵庫に残り物が出ないように夕食を済ませて、風呂、洗濯、旅行の支度、防犯カメラのセッティング(笑)をやってると26時を過ぎた。
明日は(割と)早いぞ。大丈夫か、ワシ。

20110510 ●5月10日(火)霧雨
屋久島と鹿児島を結ぶ船のうち車を積めるものは、現在は『フェリー屋久島2』と『はいびすかす』だけだが、今回後者を初めて利用してみる事にした。下船港が陸運局に近いのと、帰りは夜行で宿代が浮くのと、いっぺん乗ってみたかったからだ。
宮之浦港の出航が8:20なので、6時半に起床し、忘れ物がないように小一時間かけて支度をし、8時前に港に到着する。
船内の客車は3台で、乗客は5人だけ。貨物船がベースなので『フェリー屋久島2』と比較すると客室がかなり狭い。『フェリー屋久島2』の片道4時間のさらに上を行く、『はいびすかす』往路6時間だが、
客室で横になって本を読んでいたり寝たりしているとそんなに苦にはならなかった。(復路は13時間と更に輪をかけるのだが・・・)
15時前に鹿児島市の谷山港に到着する。貨物用の港だけあって周りになんにもないどころか海上保安庁の船が多数泊まっていたのに驚いた。
陸運局に出向き、早速ナンバー交換の申し込みを行おうとするが、営業マンのチョンボで車の所有権がメーカーに残ったままである事が判明する。止む無く今回は車メーカーに委任状を作ってもらい、里帰りの復路で陸運局に出直す事にする。プンスカ!
もやもやが残ったまま鹿児島を後にし、22時ごろ福岡の実家に戻る。

●5月11日~15日
実家の福岡でなんやかんや。詳細は省く。
(車のコーティングしてもらったり、引っ越しの残り荷物をまとめたり、買い物したり
、2代目○ぼちゃ家行ったり・・・)

●5月16日(月)晴
14時半に福岡の実家を発ち18時に鹿児島市に到着する。
暫く映画絶ちになるので『英国王のスピーチ』を観る。いい話なんだが、残念な話のスピーチで皆が祝福しているのはすごく変な気がした。
桜島の噴火が活発化しているらしく、ホテルに戻ると車に灰がうっすら積もっていた。

20110517 ●5月17日(火)晴
みずほ銀行鹿児島支店で退職金の口座を作る。
昼過ぎに、下荒田の車販売店で委任状を受け取り、谷山の陸運局で今度こそ鹿児島ナンバーを入手する。
陸運局の手続きが思った以上面倒だったり、固着したナンバープレートのボルトを外すのに苦戦していたら、あっという間に16時半。
ナンバー交換後にETC変更も終わらせるつもりだったがあきらめ、(コーティング後対応で)高圧水流の洗車場を探し出して虫はねと火山灰を洗い流してもらい、鹿児島谷山港18時発のフェリー『はいびすかす』に何とか乗り込む。
今夜は種子島の西之表港で停泊する事となるが、21時に港に船が着くとフォークリフトどんちゃんがんちゃん音を立てて荷物の積み下ろしを始めた。
喧しい音はそれからずっと続いたが、23:15にぴたりと止んだ。雑魚寝の客室で24時に就寝する。

20110518 ●5月18日(水)晴
朝5時、突然スピーカーからの音楽で起こされ、「ただ今から西之表港を出発します」とアナウンスが流れ出した。こんな時間にそんな放送いらーん!自分たちが起きてるからと言って客まで起こさんでくれぃ。
起されたからには、寝ぼけ眼で朝焼けの西之表港を見送った。
朝7時すぎに屋久島宮之浦港に到着。長旅だったけど、夜のお泊り会は面白かった。
本日は通院日なので、8時半まで屋久島総合自然公園の散策で時間をつぶして○洲会病院に行く。
実は本日、3月の下見来島時に物件案内をしてくれた不動産屋YPのMさんから「一品持ち寄りで移住者の親睦会を行うので如何?」と招待を受けている。
賃貸物件の空きがなくて不動産屋YFの契約になった後も、Mさんの上司Kさんから「土地買いませんか」と度々電話を受けており、勧誘の罠かと疑ったが、総務で鍛えられた対応でKさんに会ってはっきり断るのも良し、島民と仲良くなる良し、で出席するつもりだ。
夕方になって散髪を済ませ、19時に原(はるお)の『山河(やまんこ)公園』に行く。
環境省の名水百選は『宮之浦岳流水』しかないので、ここが何の名水百選か分からないがとにかく名水百選の一つ、山河湧水を楽しんでもらおうと、小規模ながらも木造の遊具やあずまや、千尋滝の模型などあるおしゃれな公園だ。
夜になると真っ暗になるのではと思ったが、橙色の証明も灯り(でも21時過ぎに消える)良い雰囲気だ。
結局Kさんは来なく、ちょっと心配だった商談もない純粋な飲み会だった。
不動産屋YPのMさんをはじめ、居酒屋オーナーのH田さん、もうすぐペンションをオープンするS木さん、熊本出身のH本さん、鎌倉出身のS井さん、Y口さん等々、蛍がちらほら舞う小川を眺めながら談笑し、忘れられない一夜となった。

●5月19日(木)雨
昨日の疲れが出たので一日だらだら過ごす。

(屋久島移住記 ~2ヶ月目~)へ続く

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2011年11月19日 (土)

屋久島移住記(2011年3月) ~移住準備~

屋久島には賃貸住宅は需要に供給が追いついておらず、タッチの差で空室なしとなってしまったが、
わずかな望みとインフラ確認を兼ねて、まずは下見目的で屋久島へ行ってみた。


Higasitennbou ●3月26日 曇
鹿児島市内のホテルに前泊して、8時半発のフェリー屋久島2で島へ向かう。
いつもはイモ洗い状態の二等客室でも、今回はオフシーズンだけあってスカスカ。
余裕こいて寝ていると屋久島の不動産屋YPから電話着信。
何事かと思ったら、早口で「物件案内は今日にします?明日にします?」旨の問い合わせ。事前連絡のメールでは明日を指定していたのだけど、何やらせっかちな人だ。(電話の主はYPのMさん。後々お友達になる。)
島が近づくと、空気はよく澄んでいて奥岳のシルエットどころか残雪の細かいところまでくっきり見えた。気分は色々複雑だが、何となく明るい兆しがあったと思った。
12時半すぎ上陸しいつもの宿、晴耕○○にチェックインしに行くが、まだ誰もいないのでそのまま島を時計回りにドライブする。
人通りは少ないがレンタカーは結構すれ違う。大学の卒業旅行者かいな。
島を2/3周もしたところ、昨年末に完成したという東シナ海展望所に到着。
おお、昨年までは看板が立っただけの空き地だったのが、プチ道の駅みたいに立派になっている。東屋の他、親子亀の彫刻もあるが、ゾウガメのような足を持っているのが大いなる謎であった。(屋久島名物は、ヒレ状の足を持つ海亀デス。)
一周終わると17時。宿のチェックインには程よい時間だ。いつも宴会場兼キッチンのすぐ後ろの部屋に案内されるのだが、今回は珍しくちょっと離れの台所付客室だ。
いつもの宿の夜は、いつも通り客同士の座談会で暮れていく・・・

Sakura ●3月27日 晴
朝、宿のオーナーS郎さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら他の宿泊者も交えて談話する。ピークは過ぎたが、どうやら桜が見ごろだそうだ。
9時半に予定通り不動産YPのMさんが迎えに来てくれて、東は吉田から西は平内まで物件を紹介してもらう。賃貸住宅は今のところ空きの予定がないので、購買物件の案内のみになってしまった。移動中に桜を意識して探すが、県道沿いは既に葉っぱばっかりだ。
これから賃貸の空きが出たら連絡もらえるように念押しして13時ごろ宿に戻ると、宮之浦の憩いの森公園の桜が見事だったとの情報をもらう。
早速そこにかけつけてみると、思わず息を呑んだ。
丁寧に刈り込まれた芝の中、枝振りの良い桜が何本も立っており、みな一面に花を纏っている。桜の下では2組の母子がピクニックしており、ちょっとまぶしい日差しと花びらを浴びながら、思い思いに駆け回る子供たちの様子は何やら別世界のようだった。
花で連想したが、栗生の石楠花公園は毎年GWで開花終盤だったので、今ならどうだろうと思い立ち、ついでに南端まで足を延ばすしてみる。
16時半すぎ、そして着いた石楠花公園。期待通りの満開状態で、写真を撮るポイントが多すぎて困る程だった。
ここまで来たからと、昨日に続き島一週する事にする。永田灯台に沈む夕日もオツなものだった。
一番の目的である住居確保は次回へ持ち越しとなったが、別の収穫はあったので幸せな気持ちで宿に戻る。
いつもの宿の夜は、いつも通り客同士の座談会で暮れていく・・・

Apato ●3月28日 雨
朝、いつものように宿のオーナーが入れてくれたコーヒーを飲みながら昨日の成果について話していると、別の不動産屋でバイトしている友人から空き物権の話を聞いたと、女将のA子さん。早速紹介してくれる事になった。おお、ありがたや。
安房に移動して、A子さんとその友人で松峯に住むM代さんに合流する。
1件目は、安房川沿いの一軒家。戦前から建っている古い家で、住人のおじいさんが亡くなったので空いたとの事。残された家具や調度品が丸々一式(ついでにおじいさんの仏壇付き)使わせてくれるとの事で、結構惹かれる。
2件目は、M代さん勤めの不動産屋YFのIさんを呼んで、ヤクスギランド線入り口近くの2階建1DKアパート。屋久島軒並みの高い家賃だが、築1年で屋根つきベランダもついている。AさんとMさんは、古い家はいろいろ問題(虫?)も出るので、これはお勧めだという。他の住居人は独身の学校先生ばかりらしいから、いい出会いあるかもよ~、と冷やかされる。(後に、この情報はうわべだけの間違った情報だと知る事となる。)
他にも希望者がいるのため明日まで回答するように念押され、その日は解散する。
いつもの宿の夜は、いつも通り客同士の座談会で暮れていく・・・

Miokuri ●3月29日 晴
宿のオーナーのS郎さんは以前から『ビッグストーン』というバンドを組んでいて、メンバー全4名うちS郎さんとY下さんが昨年8月、福岡でトークショーとミニコンサートを開いてくれた事があった。そのとき本職が写真家であるY下さんの写真集を代金前払いで注文したが、未だに送られてくる気配がない。

朝、いつものようにオーナーS郎さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら、のんびり待っているので島に引っ越したらその事についてよろしく伝えたところ、何とS郎さん、電話でY下さんを呼び出された。平謝りで駆けつけたY下さん、目の前で墨を磨って写真集にサインを書いてくれた上、「引っ越されたらビッグストーンのホームコンサートを開きます」とおっしゃられる。島を代表する写真家の方にそこまでされるのは恐れ多いし、どうもてなせば良いのか困ってしまうので、流石にコンサートまではお断りした。

宿をチェックアウトした後、島の家電店を回って洗濯機や冷蔵庫等の値段を調査する。
正午すぎ、宮之浦港に着くと、本日乗るフェリーの前に二百人はいそうな人だかりができており、吹奏楽隊の演奏や万歳三唱でえらく盛り上がっている。
船のフェンスには、
『祝ご栄転 ○○学校  ビール大好き○○ちゃん ○○○○先生』
『祝ご栄転 ○○学校  こだわりの熱い女 ○○○○先生』など
わざわざ業者に発注ような立派な垂れ幕が付けられており、人だかりの手には様々なのぼりや横断幕が握られいる。
学校や財団で任期を終えて島から戻られる方の見送りらしい。
乗船して客室から眺めると、何十本ものお別れテープが見送る人と見送られる人の手を繋いで、まるで七夕飾りのように張り巡らされている。こんな熱烈な見送り風景、今の時代にもあったのだなぁ。先生、絶対泣いているよ。
やがて船は出港し、お別れテープが見送りの人の手から離れるのを眺めながら、昨日紹介を受けたアパートに決める事にし、不動産屋のYFとYPにそれぞれ注文と断りの連絡する。
それから一眠りして4時間後、鹿児島南埠頭に到着。
窓から眺めていると、今度は『お帰りなさい ○○○○先生 ○○小へ』と書いた2枚の模造紙を持った迎えの人が総勢十数人、寒そうに待っていた。事情は分かるが島人との温度差に笑ってしまった。
その日は港近くの温泉ホテル「アク○ガー○ンホテル福丸」に一泊する。床がなぜかタタミの変な風呂場だった。

Zerozeronana ●3月30日 晴
F銀行鹿児島支店で手付金の振込みを行ったあと、
以前から気になっていた坊津の『007は二度死ぬ』撮影記念碑に遠回りして帰路に着いた。
細い道がくねくね続くので結構しんどかった。
4月に入ってからは、失業給付の説明会出席、役場や病院、買い物などの用事を済ませ、 10日の父の誕生日を祝った後、引越しの準備に取り掛かる。
荷造りには余裕を持って4/11~4/15の5日間用意したつもりだが、元々片付けが大の苦手だけあって、引き取りのぎりぎりまで掛かってしまう。いやー、在職の頃に転勤させられなくてつくづく良かったと思う。


次回はいよいよ島引越しへ。
(屋久島移住記 ~1ヶ月目~)へ続く

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屋久島移住記 ~序章~

「屋久島に住むという貴重な体験をするのだから、日記書
いて」と方々から催促があったので、へたれな記録を書くことにしました。
まずは背景と移住準備前夜まで・・・



Tubotake_4 ●移住に憧れるようになった経緯:
屋久島との初めての出会いは1997年夏。『もののけ姫』に沸く世間を余所目に「九州本土一高い山(九重中岳)は何度も登ったけど、九州一高い山に登るのだ」と職場仲間と宮之浦岳縦走だけをしに来た。
そのときは体調を崩して景色を楽しむ余裕も無く、他の観光名所も回らないスケジュールだったので色々心残りがあり、翌々年にリターンマッチしたところ、改めて自然の広大さと美しさ(屋久島は縄文杉のいる奥深い『山』のイメージばかりあるけど、海亀の産卵数日本一の綺麗な『海』、綺麗すぎて上流の方は魚も住めない程澄みきった『川』、ちょっと人里離れるだけで満天の星を見せてくれる綺麗な『空』と魅力多彩。)
また、島なのに一週間あってもまだ足りない見所の多さに虜になってしまう。
その後も毎年1~3回通い続け、そのうち「定年後にでも移住したいけど、出来れば体力あるうちが良いな」と夢を持つようになる。

●移住を決めた理由:
2010年度末、後述の経緯にて18年近く勤めた会社を辞める事にした。
そこで、地元福岡で再就職しても、今までみたいに一週間休みを貰えるとは限らず、毎年屋久島で羽伸ばしする生きがいが無くなりそうなので、そうなる前にいっそ気の済むまで住んでみたい、と考えた。

  

Tenpo_2 ●退職から屋久島移住準備着手まで:
2011年2月28日の退職から明けて、3月一週目は会社から送られてくる退職書類を待ちながらお世話になった方の挨拶周りや羽伸ばしをする。リニューアルして豪勢になったばかりの博多駅から遠く離れるのは惜しい気がするが、人ごみが生理的に駄目なので、まあ良いかと思うことにする。
3月2週目末からは『東京に単身赴任している義兄を頼って本社関係の人に挨拶して、その足で大阪の姉の家にお邪魔して親しい同僚にも会いに行く』という計画を立てていたが、旅行カバンを引きながら東京の人ごみを歩かないといけないと考えていたらげんなりしてきた。仕事辞めて気落ちしている所為もあるが、元々上京初だった日に「翌週に予定を延ばして大阪だけにしよう」と考えながら福岡の家電店で島で使うUPSを選んでいると、TVに信じられない光景が映っていた。東日本大震災の大津波である。あまりの惨事にその日は買い物もする気が失せ、夢である事を期待しながらその夜は床についたが、翌朝目覚めるとやはり夢ではなく愕然とした。また、東京も帰宅難民が大勢出たとの事で、当初の予定通り旅行初日だったらどうなっていた事かと思う。(義兄は仙台へ飛行機で向かう予定だったが、まだ発つ前で、自宅も職場近くに借りていたので難を逃れたそう。)
原発も緊急事態で日本がどうなるのか気が気ではなかったが、姉からいつ尋ねてくるのか問い合わせもあったので、3週目明けに大阪だけに行くことにする。
今まで屋久島一筋だったので一度も行った事が無かった姉の家に泊まったし、親しい同僚にも会えたし、以前から憧れだった日本一低い山=天保山にも登頂でき、とりあえずは目的は達成したと思う。
大阪から戻ったところで、ようやく屋久島の賃貸物件探しに取りかかる。屋久島には賃貸物件が非常に少なく(アパートはあるが、マンションというものが存在しない)、家賃も博多駅周辺と同じ位かかって調べた当初は凄く驚いた記憶がある。数ヶ月前からインターネットで状況をチェックしていたが、2月以降は空きが全く無い。もしかすると何か隠し物件もあるかもしれないと淡い期待を持ちならが、現地の暮らし調査も兼ねて3月27日~30日の屋久島訪問をセッティングする。

  

Working3 ●退社への経緯:

会社を辞めた理由をこそこそ質問される事があるので、ついでに記します。
関係者の方の言い分もあるとは思いますが、私の見解です。
(決してトラブルを起したのでは無いですよ~)

とある福岡のソフトウェア会社に18年前入社後、開発部門と営業部門を経て、十年前に支社を取り纏める業務支援部門に配属された。
当時5人居た部門員も徐々に減らされ、2009年にとうとう自分一人になってしまう。対して規定追加などで全体の仕事量はじわじわ増える一方で、こりゃたまらんと近年は近い部門の人に作業の一部を担当してもらっていたが、やがて人事異動でそれもまた一部戻ってくる始末。
2010年明けには流石にパンク気味で、『一人事務室に残って日付が変わってから帰宅し、8時半厳守でまた出社(睡眠4時間前後)』という生活を毎日続けざるを得なくなり、精神的な疲れが溜まると高血圧で一時的に目が見えなる事(閃輝暗転)が増え、 やがて、頚椎症神経根症も発祥して首や腕に痛みが出て1分も下を向くことが出来なくなってしまった。(写真は下を向けなくなったときの装備。社内で結構ウケてた。)
それでも、上司は社内統合化で畑違いの人で固められているため、私の抱えている仕事の内容をよく理解してくれず、またこれでも職場では若い方で体格も良いからなのか体調不良でふらついていても誰も心配してくれない。作業遅れが出ても尻拭いは自分しか出来ない。上層部に相談すると「これから親会社からの発注が減る見込みで楽になる」との気休めを言われるのみ。(実際は、その後自主事業部門が事業拡大をはじめたり、同時に辞めた先輩社員が「ボクのもっている持っている仕事をつぼちゃんに譲ろうと思ってた」と聞かされたりで、辞めたのは本当に正解だった・・・と思う。)
冬になっても体調の回復見込みも無く「このまま障害者になって会社に捨てられてお仕舞い、って展開になりそうだなぁ」と将来に不安を感じていた折、早期退職優遇制度の募集が開始される。
会社のレールから外れるのに不安はあるが、惜しむようなキャリアないし、これから出世する願望も見込みもないし、バブル崩壊直後に入社してから景気の良い話は一度も聞いた事ない。長い時間悩んでいたが、これを逃すと次は無いと申し込みを行い、制度期限一杯の2011年2月28日に円満退社したのである。

                   以上

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