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2011年11月19日 (土)

屋久島移住記 ~序章~

「屋久島に住むという貴重な体験をするのだから、日記書
いて」と方々から催促があったので、へたれな記録を書くことにしました。
まずは背景と移住準備前夜まで・・・



Tubotake_4 ●移住に憧れるようになった経緯:
屋久島との初めての出会いは1997年夏。『もののけ姫』に沸く世間を余所目に「九州本土一高い山(九重中岳)は何度も登ったけど、九州一高い山に登るのだ」と職場仲間と宮之浦岳縦走だけをしに来た。
そのときは体調を崩して景色を楽しむ余裕も無く、他の観光名所も回らないスケジュールだったので色々心残りがあり、翌々年にリターンマッチしたところ、改めて自然の広大さと美しさ(屋久島は縄文杉のいる奥深い『山』のイメージばかりあるけど、海亀の産卵数日本一の綺麗な『海』、綺麗すぎて上流の方は魚も住めない程澄みきった『川』、ちょっと人里離れるだけで満天の星を見せてくれる綺麗な『空』と魅力多彩。)
また、島なのに一週間あってもまだ足りない見所の多さに虜になってしまう。
その後も毎年1~3回通い続け、そのうち「定年後にでも移住したいけど、出来れば体力あるうちが良いな」と夢を持つようになる。

●移住を決めた理由:
2010年度末、後述の経緯にて18年近く勤めた会社を辞める事にした。
そこで、地元福岡で再就職しても、今までみたいに一週間休みを貰えるとは限らず、毎年屋久島で羽伸ばしする生きがいが無くなりそうなので、そうなる前にいっそ気の済むまで住んでみたい、と考えた。

  

Tenpo_2 ●退職から屋久島移住準備着手まで:
2011年2月28日の退職から明けて、3月一週目は会社から送られてくる退職書類を待ちながらお世話になった方の挨拶周りや羽伸ばしをする。リニューアルして豪勢になったばかりの博多駅から遠く離れるのは惜しい気がするが、人ごみが生理的に駄目なので、まあ良いかと思うことにする。
3月2週目末からは『東京に単身赴任している義兄を頼って本社関係の人に挨拶して、その足で大阪の姉の家にお邪魔して親しい同僚にも会いに行く』という計画を立てていたが、旅行カバンを引きながら東京の人ごみを歩かないといけないと考えていたらげんなりしてきた。仕事辞めて気落ちしている所為もあるが、元々上京初だった日に「翌週に予定を延ばして大阪だけにしよう」と考えながら福岡の家電店で島で使うUPSを選んでいると、TVに信じられない光景が映っていた。東日本大震災の大津波である。あまりの惨事にその日は買い物もする気が失せ、夢である事を期待しながらその夜は床についたが、翌朝目覚めるとやはり夢ではなく愕然とした。また、東京も帰宅難民が大勢出たとの事で、当初の予定通り旅行初日だったらどうなっていた事かと思う。(義兄は仙台へ飛行機で向かう予定だったが、まだ発つ前で、自宅も職場近くに借りていたので難を逃れたそう。)
原発も緊急事態で日本がどうなるのか気が気ではなかったが、姉からいつ尋ねてくるのか問い合わせもあったので、3週目明けに大阪だけに行くことにする。
今まで屋久島一筋だったので一度も行った事が無かった姉の家に泊まったし、親しい同僚にも会えたし、以前から憧れだった日本一低い山=天保山にも登頂でき、とりあえずは目的は達成したと思う。
大阪から戻ったところで、ようやく屋久島の賃貸物件探しに取りかかる。屋久島には賃貸物件が非常に少なく(アパートはあるが、マンションというものが存在しない)、家賃も博多駅周辺と同じ位かかって調べた当初は凄く驚いた記憶がある。数ヶ月前からインターネットで状況をチェックしていたが、2月以降は空きが全く無い。もしかすると何か隠し物件もあるかもしれないと淡い期待を持ちならが、現地の暮らし調査も兼ねて3月27日~30日の屋久島訪問をセッティングする。

  

Working3 ●退社への経緯:

会社を辞めた理由をこそこそ質問される事があるので、ついでに記します。
関係者の方の言い分もあるとは思いますが、私の見解です。
(決してトラブルを起したのでは無いですよ~)

とある福岡のソフトウェア会社に18年前入社後、開発部門と営業部門を経て、十年前に支社を取り纏める業務支援部門に配属された。
当時5人居た部門員も徐々に減らされ、2009年にとうとう自分一人になってしまう。対して規定追加などで全体の仕事量はじわじわ増える一方で、こりゃたまらんと近年は近い部門の人に作業の一部を担当してもらっていたが、やがて人事異動でそれもまた一部戻ってくる始末。
2010年明けには流石にパンク気味で、『一人事務室に残って日付が変わってから帰宅し、8時半厳守でまた出社(睡眠4時間前後)』という生活を毎日続けざるを得なくなり、精神的な疲れが溜まると高血圧で一時的に目が見えなる事(閃輝暗転)が増え、 やがて、頚椎症神経根症も発祥して首や腕に痛みが出て1分も下を向くことが出来なくなってしまった。(写真は下を向けなくなったときの装備。社内で結構ウケてた。)
それでも、上司は社内統合化で畑違いの人で固められているため、私の抱えている仕事の内容をよく理解してくれず、またこれでも職場では若い方で体格も良いからなのか体調不良でふらついていても誰も心配してくれない。作業遅れが出ても尻拭いは自分しか出来ない。上層部に相談すると「これから親会社からの発注が減る見込みで楽になる」との気休めを言われるのみ。(実際は、その後自主事業部門が事業拡大をはじめたり、同時に辞めた先輩社員が「ボクのもっている持っている仕事をつぼちゃんに譲ろうと思ってた」と聞かされたりで、辞めたのは本当に正解だった・・・と思う。)
冬になっても体調の回復見込みも無く「このまま障害者になって会社に捨てられてお仕舞い、って展開になりそうだなぁ」と将来に不安を感じていた折、早期退職優遇制度の募集が開始される。
会社のレールから外れるのに不安はあるが、惜しむようなキャリアないし、これから出世する願望も見込みもないし、バブル崩壊直後に入社してから景気の良い話は一度も聞いた事ない。長い時間悩んでいたが、これを逃すと次は無いと申し込みを行い、制度期限一杯の2011年2月28日に円満退社したのである。

                   以上

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